還暦すぎて早1年

 

童謡の歌詞のごとく「村の渡しの船頭さんは こ~とし ろくじゅうの お~じいさん」が、我がことになってみてつくづく思う事

 

 

若い人たちから見れば充分高齢者の仲間入りなのに、その中身は・・・

 

 

「いったい どこが 成長したのだろう?」

 

 

本当にそう感じます。

 

 

「想い」の下書きを書いていたとき、【2度の大病】と書いた箇所を娘が【生死を分ける2度の大病】と書き直していました。

 

 

それを見た時、妻や家族にとっては当人より もっと不安で一杯だったろうし大変だったろうと改めて感じさせられました。

 

 

健康にしても、仕事にしても、家族の事にしても、真逆の状況を体感して

初めて あたり前が あたりまえでない事にやっと気づける!

 

 

誕生日を迎えられることを心から有難い事と思えるようになってきたところは、少し成長してこれたのかもしれません。

 

 

私も含めて妻や娘2人家族全員が3月生まれ。

それも15日・18日・20日・25日と集中する中、昨年の3月 次女にも子供が生まれました。その孫娘は合間をぬってなんと23日でした。

 

更なる誕生日ラッシュになりました。

 

 

 

 

「大好きな風景画」

 

以前、洋画家 木村秀夫先生の「木漏れ陽の雑木林」の風景画を目にした時、一瞬にして心打たれ、東京近郊で行われる木村さんの風景画展情報を調べては見に行かせていただき心癒されていました。

 

 

デパートでの風景画展に伺った時、偶然木村先生がいらっしゃたので初めてお声をかけさせていただきました。

 

 

「風景を前にしてどのようなお気持ちで描かれているのですか」とお聞きすると、とても奥深いお言葉にとても感動しました。

 

 

私の仕事内容の事もお伝えすると「創作!という意味では共通していますね」と言ってくださいました。

 

 

その時、過去の風景画展のハガキを何枚かいただきました。

 

その中に【絵の道は仏法の道】と書かれているものがありました。

 

良寛さんの詩と先生の想いが書かれていました。

凛とした謙虚さと 自然を前にしていかに無になれるか そんな思慮深さが伝わってくるものでした。

 

 

 

「花は無心にして蝶を招く」

 

 

 

「生涯身を立つるに慵(ものうい)く、 騰騰(とうとう) 天真に任す。」

 

 

 

 騰騰(とうとう) 天真に任す。という言葉が私の中でどんどん染み入り深く刻み込まれる言葉になりました。

 

 

 

その日の出逢いをきっかけに、木村先生から直接お葉書をいただいたりして風景画展に足を運ばせていただいています。

 

 

2017年11月の風景画展では、大好きな「木漏れ陽の雑木林」の作品と一緒に先生が写真まで撮ってくださいました。

 

いつも拝見するだけで本当に申し訳ありません、何時かはきっと・・・

 

 

 

 

「伊勢神宮に行かなくては!」

 

年表を書いていて2007年(H19年)長年の色々な難題解決や病気の快復などの兆しが全てこの年に起きていたことには驚きでした。

 

 

今後の共同事業の最終的な話し合いを仲間と軽井沢で行いました。

円満解決した夜「終わった!」と一人真っ暗になった外に出て歩いていると突然

 

 

 

「伊勢神宮に行かなくては!」

 

 

 

そんな言葉が浮かんできました。

でも伊勢神宮って行ったこともないし、どこにあるの?という何にも知らない私でした。

 

 

 

 

それから伊勢神宮の事を色々調べたり古事記の解説書を読んだりしました。

外科医から春日大社宮司になられた葉室頼昭さんの本に引きつけられ色々学ばせていただきました。

 

 

 

そして初めての伊勢神宮参拝に日帰りで1人向かいました。

 

 

 

内宮の神楽殿にて祈祷をお願いし案内していただいたところ
偶然  私一人でした。

 

 

 

 

 

その神聖さと深遠な中に一人座っていたとき、何かこみ上げてくるものがあり涙が止まらず最後までハンカチで目鼻を抑えながらの参拝になりました。

 

 

 

西行法師が詠まれた

「何ごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」

その心境を少し体感させていただいた思いでした。

 

 

 

その後、1年おきに伊勢神宮へ伺うようになりました。

凛とした静寂、清々しい早朝に外宮、内宮で御垣内(正式)参拝をさせていただいています。静かで心地よい遙宮の伊雑宮、滝原宮にも伺っています。

 

 

いつも本当に気持ちよく心地よく何時までも居たくなる思いになります。

 

内宮 宇治橋

 

内宮 御正宮

内宮 神楽殿

内宮 参道

内宮 五十鈴川 御手洗場

年表を眺めて沸き出てきた「言葉」

 

 

学生時代からの約40年の出来事年表を何度も眺めて湧き出てきた「自分に対しての言葉」です。

 

 

 

「浮かれるな!」

「いい気になるな!」

 

 

 

「常に学び実践しなさい」

 

 

 

「よい言葉を使いなさい」

 

 

 

「病や災いは、大切な何かに気づけというサインである」

「繰り返しおこる症状は「真の道に戻りなさい」というメッセージである」

 

 

 

「今あるあたり前に気づき常に感謝しなさい」

 

 

 

「他人の価値観に生きると苦しくなる」

「自分の価値観に生きると魂が喜ぶ道となる」

 

 

 

「人間一人では 自らを信じることは なかなか難しい

良き仲間(家族・友人・専門家)が必要である」

 

 

 

「心を持って自ら動けば 必ず良い出逢い、良き人とめぐり逢い 道は拓ける」

 

 

 

なんか恥ずかしいですが、偽らざる素直な「言葉」が湧き上がってきました。

 

 

 

年表を作って見てビックリ!

 

2~3年前ある本を読んでいたら「自分の年表を作り全体的に眺めてみると人生からの問いかけ等、何かが見えてくる」という文字を見て作ってみました。

 

大学時代から約40年間、良い出来事や普通の出来事は黒い文字、悪い厳しい出来事は赤い文字で記入してみました。

 

 

 

見てビックリ!「赤い文字ばっかりだ!!」

 

 

 

ただこの年になれば誰でも色々な出来事があるのは当たり前ですが、公私に渡る負の継承による再建、解決への長い道のり、2度の大病その後の鬱的症状との長きにわたる心的葛藤など色々な出来事が赤い文字ばっかりでビックリでした。
(赤い文字の出来事はあくまで発生時でそれが5年10年20年と続いていました)

 

 

当時は「何で…」という気持ちでいっぱいでしたが、年表全体を眺めてみていると、その苦しいと思える出来事があったからこそ、色々なことに気づけ、少しづつですが心を磨け成長させてもらえてきたんだな~と感じています。

 

 

病になって気づいた一つに自分が無意識に使っていた【言葉】です。
「私はこんな言葉を使っていたのか」と愕然とし大いに反省しました。

 

 

本をあまり読まない私でしたが、苦しさから解放されたくて図書カードがボロボロになる位いろんな分野の良書に救いをもとめました。1冊から心に響く一節があると付箋を付けコピーしそこから、さらに自分の腹に落ちる短い言葉を書き留めていきました。

 

 

 

 

 

 

 

あらためまして

今年の1月サーバーエラーによりブログが表示されなくなってしまいました。

 

やっと復旧できましたが、過去の記事データは消失してしまい、あらためて 一から投稿していきたいと思います。

 

 

「想い」や「プロフィール」を書きだしてみた時、改めて色々な出来事には意味があったことに気づいたり、良き人や良き本に本当に助けられてきたことに心から感謝せずにはいられない思いになりました。

 

 

そんな良き出逢いでいただいた「言葉」の数々を少しづつですがご紹介していきたいと思います。

 

河口湖畔から偶然撮れたお気に入りの写真です。